新卒1年目を終えた

気が付くと4月に入り、社会人として入社してから1年が経っていた。

配属されてからはチームの人たちにも恵まれたおかげで今日まで社会に耐えることができている。自分が後から見て何か思い出せるように少しまとめておきたいと思う。

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4-6月

最初の数か月は虚無研修と入社前のイメージとのギャップを大きく感じた期間だった。

コロナで一度も大学に行かず研究と卒論を終えた私は、リモートワークというものに大きく期待を寄せていた。自分が入社したのはコロナ渦においてリモートワークへの取り組みで一定の話題になっていたこともあり、当然の要素として考えていたがこの予想は大きく外れた。

 

最初の研修は人事が担当するもので、会社の諸説明やグループワーク、マナー講座のようなものが主である。ここで重要となったのが社内聖書の存在である。実際はそんな名称ではないが、そこに書かれていることが絶対という扱いをされ、何かと引用される形で使用される。毎日その内容について腐るほど語られるせいで、まるで宗教か何かだと感じていたが、実際組織を長く維持する手法として宗教を参考にしているという社長のインタビュー記事もあった。

具体的な内容については、心持ちから資料の文字の大きさまでさまざまであり、これは外部向けにもWeb上で公開されている。厄介なところは、この研修の目的が新卒をこの聖書漬けにするところにある。宗教の押し付けの迷惑さなんて想像に難くないと思うのだが、そのまんまそれだ。

 

また、新卒は何かと出社必須の機会が多かったもの厳しかった。まだワクチンがなく、コロナへの懸念が大きくあった中で出社をさせられるのは非常に辛かった。私は実家暮らしのため、自分が感染することによる家族へのリスクがかなり高く、そのことを申し出たりもしたが特に受け入れはされなかった。出社して何をするかといえば、1日中Zoomでの研修なので本当にストレスを感じたし、もう辞めるか!みたいな気持ちだった。何よりも家族にリスクをかけているのが嫌だった。

 

基本的に人事を含む研修担当は基本的に話が通じなかった。出張研修で仙台に行ったときには感染者数が大幅に伸びていた。感染率は都市部では変わらないし出張しても問題ないと言われたときは発狂しかけてしまった。全く論理が通っていなかったので長文でお気持ち表明をしてしまったが、研修が足りないと突っぱねられた。今思い出してもイライラする。トンデモ論理で出社を強制し、出張前後のPCR検査も行わず各拠点から出張する様子は、一般の人からすれば想像できなかっただろう。なぜなら前述したように、弊社はリモートワークというものを外部向けにアピールしていたからだ。

 

今でこそ、自分を含む家族全員がワクチンを接種しコロナへのリスクが軽減されてはいるが、当時はリスクの塊であったので本当に厳しかった。結果的に悪いことが起きなくて本当に良かった。起こっていたら出社ついでに何か事件を起こしていたかもしれない。今一番大切なものは間違いなく家族だからだ。

また、技術的にも虚無の期間であり、1年を通して一番退職のモチベーションや精神的ストレスが高い期間であったことは間違いない。

 

7-12月

ゴミ研修(唐突な暴言)を終えて本配属となった。

結論、配属されたチームは私にとっては印象の良いチームであった。人となりや考え方、業務の内容が自分が理解できるものであったからだ。「感染者数が同じだから、その地域内で移動しても(リスクが変わらないので)良い」と言っていたのはエンジニアの部長だったが、その部署に自分が配属されていたら確実に退職していただろう。

 

そしてこの時期に初めて職域接種でワクチンを接種した。弊社は職域接種への動きがかなり早く、全国的に見てもかなり早いタイミングでの接種だった。ただ、接種したのは自分だけで、同居する家族は接種していないのでリスクについては変化はなかった。そのため、リモートワークを希望したが新卒ということで出社が義務付けられた。その後東京では感染が拡大し、社内でも感染者が増え、会社全体で在宅勤務体制へ移行したことで自分はリモートワークを獲得した。このとき、社長が「コミュニケーションのために出社が必要」と出社方針を出しながら社内で感染者数が増えた結果「緊急で在宅に切り替え」なんてことになったのが印象深い。素人目に見ても感染爆発が起きていた時期でこうなることはだれでも想像がついていたし、緊急も何もその判断はもっと前にできたはずだからだ。このあたりで完全に私は社長のアンチになった。

 

最終的に出社体制は週3日の出社が義務付けられるかたちに落ち着き、現在までも続いている。これは社長が打ち出した指標だ。出社の目的はコミュニケーションや集団意識、作業効率などだそうだ。もちろん私からすれば納得していないし反論の余地しかないのだが、社の長がいうことは絶対の文脈で降ってくるため正当性なんてものは関係なかった。簡潔に述べるのが難しのだが、自分はリモートワークにおいても提示された出社の目的は達成できると考えているし、自分が所属しているチームはどちらかというとその方が適しているようなチームだった。だけに文句たらたらである。一生愚痴をかけてしまうのでこのあたりでやめておく。

 

チームで業務をするようになってからは比較的充実していた気もする。組織の課題や問題が顕著でそれゆえの難しさを感じることが多かったが、変に残業を求められもせず、パワハラもなく、優しく接してくれる方々に恵まれた。今自分が働けているのは間違いなくこの人たちのおかげである。いろいろなタイミングで辞めたいと思ってはいたが、この人らへの恩返しがしたい気持ちもあり、結局辞める選択はしなかった。(やめることは簡単だがその後のリスクが大きいのももちろんある。自分はいわゆる引く手あまたの人材ではないからだ。)

 

1-3月

年が明けてることにはだいぶ気楽にチームにいられるようになった。周りの人たちの人となりや雰囲気がだいぶつかめてきていたし、チームの仕事内容も理解が進んできたからだ。一方で自分が何をするべきなのかという点では自信を持つことはできていなかった。理由としては、自分がチームの本流とは少し外れた(ように感じる)業務を担当しているからだ。

チームの人たちはもうすでに自分の仕事を持っていて、それで手一杯のような状態だった。そこで、自分の仕事は定常系の業務や、他の人が手が回らない改善業務になった。割と目に見える形で課題・問題は多くあり、改善の余地は多くあったのだが、提案というのは自分にとってはそこまで簡単な話ではなかった。主な理由としては、

- 明らかに有効な手があるが、追加コストがかかるので導入できない

- 有効な手があるが、検証ができないため導入できない

- 環境が複雑すぎる(作った人がもういない)・複数チームのコンポーネントが組み合わさっている結果自分一人ではどうにもならない

などがある。端的な例としては

CDNいれたら解決できそうですよね~」

「そうだよね~入れたいんだよね~」

のように、チームの人も馬鹿ではないので課題は認識しているが、解決できなかった過去の経緯や背景が多数存在しているようだった。これは今でも変わりはないが、解決策を模索している時間や検証している時間、周りのチームメンバーがチームタスクを進めているのを見ると、自分はこれをやっていていいのか?何か手伝いに入ったほうがいいんじゃないか?みたいな思考になる。この辺はどこかで機会があったりしたら認識を合わせたいと思う。それができる方々なので本当にありがたい限りである。

 

 

4月~

気づけば今年度の新卒が入社し、自分たちが去年たどった虚無の研修を受けているようだ。自分たちにはどうすることもできない。苦しみを理解している自分にできることは話を聞いたり記憶を提供することだけだった。「この虚無はあとこれだけの期間続きますよ」

 

 

1年たった今、自分が求めているのはただ一つ、強制出社の廃止それだけだ。